第9章 ソフト・テクノロジーとハード・テクノロジー choiyaki
人間にとって得意なことは、機械にとっては難しいことが多い。が故に、人間が得意なことをやらせる機械を作るのは難しい。一方で、人間が苦手なことを失敗せずできる機械を作ることはできる。
これは人間の不得意を補ってくれて素晴らしい、とはならない。現状の多くが、人間が機械の要求することに合わせ、得意ではないことをその要求に応えるためにしている。
問題は、機械の性能に重点を置くから。機械中心の見方をするから。
人間の強みよりも弱みに目が行く見方。
なぜ、機械を基準にしてわれわれ人間を判定するようになったのか?
自動化されたシステム(オートメイト)は、人間と機械の協働によらない。その方向に進んだがゆえ、機械が基準となった。
機械に使っているのと同じ数値による表現をそのまま人間に見せるのが楽だから。
人間が馴染んでいる名前や文章や図などで表すのが人間中心のデザインの原則の一つであるのにもかかわらず。
人間と機械が協働する、機械の要求に応えるだけの状態ではなく、人間の苦手と機械の苦手を互いに補い合うシステムは、できるはず。
論理が重要なのは、それが人間の思考過程と違っているから。
論理と、人間の認知に適している物語、それらが両方必要になる。
言語は、人間中心のシステム。論理は機会中心のシステム。
論理はエラーに対して寛容ではない。演算に間違いがあれば解釈できないもの、となる。
言語は、人と人のコミュニケーションにおいて役立つために、多義性や不正確さを許容する。使い勝手も良くないといけない。一方で、厳密すぎないと意味をなさなくなるので、厳密さも必要。そんな条件のもと、何万年もかけて発展してきたもの。さらには、順応位も必要で、間違いに対しても寛容であり、文化の文脈にも適合するような、絶えず変化していくもの。
人間のインタラクションにふさわしいもの。
ハードなテクノロジー
テクノロジー優先
人間に対して柔軟性に欠ける
融通のきかない要求をする
ソフトなテクノロジー
豊かな情報と選択肢を用意する
人間の受験と柔軟性を尊重する
テクノロジーの力や長所は、ソフトなテクノロジー
ハードなテクノロジーをソフトなテクノロジーに変える方法は、あり得る。
人間のニーズから始めること。